twitter疲れ?それってtwitter関係なくない? 〜"人から嫌われる"ということについて
"mixi疲れ"なんて言葉が一昔前流行りました。そして"mixi疲れ"を起こした人は徐々にmixiから離れていきました。今度は、"twitter疲れ"なる言葉が出始めています。今日はこの"○○疲れ"に対して、完全に主観でのコメントです。
"mixi疲れ"も"twitter疲れ"も、マスコミが作り出した阿呆らしい言葉だとは思いますが、実際に疲れてしまっている人が出ているのは事実だとは思います。ただ、そういう人は"携帯電話疲れ"も同時に起こさないのでしょうか?mixiもtwitterも携帯電話も、形態の違いはあれど、すべてコミュニケーションツールという同レイヤーです。
あたかも、サービスが"疲れ"を増長させるような表現で煽るのは、単にマスコミのよくわからんものは怖い、敵だという考えで攻撃しているだけなのかもしれません。
いずれにしても、単純にすべてがそうと断定はできませんが、"○○疲れ"を引き起こす要因のひとつに、他人から嫌われたくないという気持ちが強くあるような気がします。嫌われたくないから義務感にかられてコメントを返し続ける。その義務感が疲れに繋がっているのではないでしょうか。
つまり、これはツール自体のせいで起きているのではなく、利用者の気持ちの問題が最も大きいのではないかと考えています。
ツールなのですから好き勝手使えばよいのです。それで誰かから嫌われるのであれば、mixiやtwitterを利用していなくても、いつか嫌われることになるでしょう。それはツールが原因ではなく、結局利用者間の問題に過ぎないはずです。
人から嫌われることを気にしていたら、コミュニケーションをとるのが非常に難しくなります。確かに相手を思いやる気持ちは大切なものですし、それを欠かすことはまかり間違ってもあってはならないことですが、人と人の付き合いである以上、そうやって気を使っていても嫌われる可能性がゼロにはなりません。何が原因で嫌われるかは理解することは難しいでしょうし、誰にも嫌われずに一生を過ごす可能性など皆無に等しい。
僕はそう考えているので、twitter上だろうが、mixi上だろうが、自分自身をすべてさらけだしています。僕自身の発言や行動が原因で友人をなくしたことはもちろんないわけではありませんが、こんな僕を認めてくれる友人に恵まれていますし、すべてさらけだした上で理解してくれるとてもいい友人たちです。そして、mixiやtwitterはそんな友人とのコミュニケーションツールに過ぎません。あくまでツールなのです。
とはいえ、"○○疲れ"というワードが出てくるような国民性があることも間違いない事実で、ツールとしての利用法を啓蒙することはとても大切なことですが、コミュニケーションツールのサービサーとしてはその国民性を理解した上で、仕様を設計する必要があることも、紛れもない事実ですね。







